レストランの値段と私

先日、大学時代の友達と渋谷にあるビストロゴキゲン鳥という店に行ってきました。

 
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(唯一写真に撮ったデザートのクレームブリュレ

焼き鳥の味はあまりわからない私ではありますが、それでも、うわーーおいしい!という感じではなかったし、値段もそこそこするし、こういう店がそれなりにやっていけてるのはよくわからないなと思いつつ。あ、でも結構メニューとか面白かったので良かったんですけど。例えば焼き鳥の具で作るアヒージョとか。(要するに鶏肉アヒージョだけど…)
そこそこ飲んだのもあってひとり7000円くらいでした。
 
そういえば、私は28歳くらいまで本当にお金がなくて、ひとり7000円もするお店に行けるってよくわからないことでした。高いお店があるのは知っていても、せいぜい1万円を超えるとか超えないとかそれくらいしか現実的には想像できなくて、自分で選ぶ店も5000円を超えない店を選んでいたし…それもここ!という店を厳選して。(そして失敗したりもして。)
それが、8年くらいたったいまはそこまで美味しいとも思わないお店に自然に7000円払えるようになった。仕事を再開したからではあるのですが、単にお金の問題だけではなく、いつの間にか東京の物価の高さに慣れてしまったのだと思います。
 
それでも、ひとり2万超える店にはほとんど行けないし、1万円を超えるお店も誘える友達がなかなかいないけれども。
でも、東京にはひとり3万円を軽く超える店だってたくさんある。銀座を始め都内にあるフレンチとか、そういうとこが多いですよね。
 
で、思うのは、以前より使える金額が増えたら、もっと上の世界のことも視野に入ってきて、なかなか満足できないということ。
5000円の店に行くのも大変だった時代からすると、今何も考えず食事に7000円出せるのは幸せなはずなのに、私には3万円のレストランにがんばって一度行くことは出来ても、そこの常連になることはこの人生では出来なそうなので、なんだかそこは結構寂しいというか悲しいというか。人ってわがままになるもんだなと思います。
 
最近仏教関係の本をよみかけて、難しくて途中で諦めてしまったんですが(もっと初心者向けからやり直します)、欲望は満たされることはない、欲しいものが手に入ってもそれよりもっといいものを求めて…そうすると、いつまでも幸せではなくて苦しい、だったら欲望などなくしてしまうのがいいーーというようなことを書いてあったと思うのですが、確かになぁ、と思うわけです。
 

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まあでも、1万円までのレストランならそれほど悩まず行ける、という生活はけっこう幸せだなとは思っているし、頑張って働こう、とも思うので、私にはこれくらいがちょうどいいのかもしれません。(むしろちょっとラッキーすぎでした…)